安来市(安来市)

スサノオノミコトが命名

安来市は県内東部に位置する、人口約3万8千人の市です。
2004年(平成16年)10月1日 安来市、能義郡広瀬町、伯太町が新設合併し、新・安来市となりました。
島根県の東部、鳥取県との県境に位置し、東は米子市・南部町、南は日南町(以上鳥取県)・奥出雲町、西は松江市・雲南市に接しています。南部は中国山地に連なる豊かな緑に覆われ、そこを源流として中海に注ぐ飯梨川・伯太川全流域が市域に含まれます。
下流域に形成された三角州には広大な耕地が広がり、上流域には豊かな森林と県東部の水瓶としての機能も果たす布部ダム・山佐ダムがあります。
この地名は出雲国風土記でスサノオノミコトにより「吾が御心は安来く(やすけく)なりぬ」と命名されたと伝えられてと記され、古来より製鉄で栄えた歴史と由緒ある誇らしい文化ともの作りの伝統が脈々と息づいています。
安来市の市鳥「白鳥」は中海・能義平野で越冬し、その美しさと優雅なシルエットに魅了されることでしょう。

歴史・自然・文化・人情の町

山陰の中央に位置する安来市。どじょうすくい踊りで知られる「安来節」は、この町の伝統的な民謡です。
江戸時代の末期には既に原型ができたと言われていて、唄声やお囃子は市民の心に深く刻まれ、大切な文化として根付いています。
島根県では、「たたら」と呼ばれる製鉄技術による鉄づくりが古くから行われていて、「安来節」も鉄の交易で各地の船頭が唄う民謡などの影響を受けて生まれたとされ、どじょうすくい踊りとともに全国に広まりました。
現在では、たたら製鉄の技術を受け継ぐ高級特殊鋼「ヤスキハガネ」の製造や鉄鋼製品の加工業が市の主要産業として発展し、その歴史を伝えているのです。
現代には「ヤスキハガネ」というブランド名で質の高い特殊鋼を生産する「日立金属安来工場」が全国に名を広めています。
戦国時代には、富田城を居城とする尼子氏が、陰陽11州をおさめ、山陰の文化・経済の中心として栄えました。「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」の名言とともに、尼子氏を支えた武将「山中鹿介」のエピソードも有名。
また、たたら製鉄の歴史は豊かな伝統と文化を紡いできました。
鉄づくり発祥の地として厚く信仰を集める金屋子神社、戦国時代には中国地方の政治・経済の中心であった月山富田城跡と城下町広瀬の静かな佇まい、厄払いの寺、桜の名所として1400年余の歴史を刻む古刹清水寺、日本画壇の功労者「横山大観」の日本画を収蔵した「足立美術館」は絵画だけではなくて、借景の山々が織り成す調和美が広がる日本庭園も世界的に有名で、多くの観光客を楽しませています。四季折々の自然の美しさと悠久を随所に感じることができることでしょう。
たたら製鉄の歴史の中で生み出された特徴豊かな地域の文化と産業、自然景観、そして今もなお受け継がれる技術と伝統は、「出雲國たたら風土記 ~鉄づくり千年が生んだ物語~」として日本遺産にも登録されています。
文化・歴史・産業・自然…多くの魅力が溢れる町です。