江津市

島根県江津市は同県の中央部よりやや西寄りに位置位置する海沿いの市になります。
山陰地方の中では最も人口が少なく、県内で最も面積が狭い市。 石見地方に属していて、県庁所在地である松江市からは南西へ約100キロメートルの距離にあります。
両市間の移動時間は車で約2時間
江津市の中央部には中国地方最大の河川である江の川が流れ、日本海に注ぐ河口周辺が同市の中心市街地となっています。
また、首都である東京からの移動時間距離が全国で最も遠い都市(2018年調べ)としても知られていて、「東京から一番遠いまち」として対外的にアピールしています。
「郷田」あるいは「郷津」とも呼ばれ、江の川の渡津集落から発展し、古くから舟運と日本海の海運の要所として繁栄しました。
江戸時代、現在の市域は大森代官所(天領)、浜田藩、津和野藩の3つ領地に分かれていたとされ、天領と浜田藩領は江の川が境でしたのですが、交通の要衝・江津本町は天領に組み込まれ、北前船の寄港地として栄えたそうです。江津本町には江戸時代に建築された商家の家屋なども多く残っていて、当時の面影を垣間見ることができます。
幕末には1866年の第二次長州戦争で浜田藩が敗退、大森代官も逃走したことから、明治維新を前に長州藩の統治下に置かれてしまいます。
長州藩の軍は江津本町に陣を置き、兵学者として名高い大村益次郎も滞在していました。
昭和に入ると江の川の水を生かしパルプ工場や製糸工場が進出したことで、特産の石州瓦とともに「山陰有数の工都」と呼ばれました。
約1300年前には、万葉の歌人、柿本人麻呂が妻・依羅娘子(よさみのおとめ)とともに過ごしたとされ、2人の別離を詠んだ「石見相聞歌」は現代でも多くの人たちに愛されています。
江津市は東側で大田市及び邑智郡川本町、南側で同郡邑南町と、西側で浜田市とそれぞれ境を接しています。北側は日本海に面した海岸線です。
JR山陰本線及び国道9号線が走っていて、東西の隣接地域とそれぞれ結ばれています。
川に沿うような形でJR三江線が走っており、県の内陸部を経由して広島県三次市に通じています

地域活性化に積極的

江津は、高校の地理の教科書に「東京からいちばん遠い市」と紹介されているほど、移動が不便なところにあります。
実際、都内から向かおうとすると、半日近くかかってしまうほど。
海と山と川に囲まれた自然豊かな地域で、人口は約25000人、面積は268.51キロ平方メートルという、人口・面積とも島根県で最小の市なのです。
他の地方都市と同じく、急激な人口減少や高齢化・雇用の不足など、様々な課題を抱えています。
ただ、のんびりとした海沿いの暮らしぶりや昔ながらの景色が楽しめる場所でもあり、ゆったりとした時が流れ、地元の人たちも温かく、心休まるスポットがたくさん見つかる場所でもあるのです。
雄大で美しい中国地方一の大河「江の川」が流れる江津市は、ノスタルジーな雰囲気の「江津本町甍(いらか)街道」や白い砂浜が広がる海水浴場「浅利海水浴場」、桜江町に位置する「温泉リゾート風の国」など、いろいろな楽しみ方ができるエリア。
石見海浜公園の波子海岸に面した焼き物が盛んな波子(はし)町は、昔ながらの赤瓦の街並みで知られていて、海水浴場や温泉海水浴場や温泉もある自然に恵まれた土地です。JR波子駅の裏にある古城山展望台からは、白砂の長い海岸と懐かしさの漂う景観を一望できることでしょう。
美しい自然や昔ながらの景色を楽しめるスポットが多く、ピクニックやキャンプにも最適☆彡
インスタ映えのする写真も撮れるのではないでしょうか?

そいて、いち早く空き家活用事業を始めたり、独自の創業ビジネスプランコンテストなどを実施するなど、町の活性化事業に積極的に取り組んでいる、ソーシャル的な町づくりの先進地域でもあるのです。
年を経て、都会よりも地方への移住を夢見る人は、年々増えています。
ただ田舎暮らしにあこがれているというだけではなく、やりたいことを実現するための場として、地方という選択をする人が増えているのですね。
本当に、骨をうずめて暮らしたいと思える土地はどこでしょうか?